「大学は出たけれど」
小津安二郎の映画作品のタイトル。昭和初期の就職難の時代を最近の中国に重ねるとしたら、それを解決する手段はもはや、(戦前の日本と同じく)戦争しかないのだろうか。
1999年秋だったか、鄭州の街角で見た婚活掲示板(黒板にチョーク)に「中学教師 月収800元」とあったのを記憶している。当時ならばそんなもんだろう。2005~2007年ごろ、上海のボス(S先生)が10000元、しかし気象局の教え子(修士卒)も同じくらいもらっている、とかおっしゃっていたのを記憶している。10年ほど前になるが、大連の先生から、若手の教授で12000元、任官したばかりの副教授で7000元とか伺っている。90年代は一元500円くらいの感覚とすれば、普通の生活はできるだろう。しかし2020年代の今日、1000元のITエンジニアが存在したり、「大卒即失業」という流行語が登場したり、修士号を持つ「専業子供」や「清掃員」、「デリバリースタッフ」が珍しくないという現状は、理由は異なれど昭和恐慌時より悲惨である。
とある農家さんが、「会社員に給与として払われるお金がどうやって生まれているのか理解できない」、とおっしゃっていた。日報を書く、お茶を汲む、(業務改善が進まず、)なくてもいいような書類をつくる、実際売り上げに結びついていない営業活動にコストと時間をかけているだけ、、、。おそらくこんな想像をしておられるのだろうが、現実にこういう企業は昭和時代には少なくなかったのではないだろうか。
現代中国の場合は、おそらく企業単体ではなくて、国としてそんな体質が存在しているのかもしれない。日本では何のスキルがあるのか怪しい文系修士の人材を欲しいという企業がもともと多くはなかったはずだが、中国ではいつの間にか文系でもどんどん修士課程を目指すようになってしまっていた。ほかの人材で代替が効くような程度のスキルや能力しか持ち合わせていないとしたら、彼らが嘆いているとおり、学位記は紙くずみたいなものかもしれない。学歴社会が批判されるとしたら、学歴があっても役に立たないこういう場面が多いにも関わらず、学歴さえあればと妄信する風潮に対してであるべきなのだろう。日本社会の学歴感は、その意味では絶妙かもしれない。
我々学者の世界でも、産業技術の発展に対し目に見えてアウトカムをもたらしている分野の研究であれば気にしなくてもいいのだが、予算を獲得し、予算を使い、それをはるかに上回る額の給与をもらい、誰にも読まれないような文章(著作、論文、、、)を書いて終わり、というケースは少なくないだろう。もちろん、持続可能性の視点でそんな研究活動は問題がないわけではない。
営業職の場合、売り上げの三割が収入みたいな世界とは思う。我々も論文1本を200万円くらいの売り上げとみなせば、そのくらいの感覚になるのだろう。常にヒットを打ち続けるわけではないから、売り上げ=収入くらいなのだろうか。それでもムダ飯は食ってない。
发布于 日本
