20251210-20251221 許溶のとき
我觉得信里根本就是rep0最想说的话,也没有什么不能给第三个人看的东西,所以放一下。
率直に言えば、許溶の物語は全然好みじゃないです。w
ただ、それは決して「良くない舞台」という意味ではありません。
20年という長い時間軸を往復しながら描かれる物語の中で、動機自体は提示されているものの、観客という「第三者」の立場から見ると、航介/学/知希の三人が、他の三田家に復讐を向ける必然性について、どうしても完全には理解しきれない部分が残りました。
タイトルからある程度は想像できるとはいえ、最終的な「団円」と「和解」にも、どこか腑に落ちきらない感覚がありました。
そんな折、ソニー仲間のご厚意で『蚕は桑の夢を見る』のBDを拝見し、
アフタートークで糸川さんが投げかけていた「たえこさんは存在していたのか」という問いを思い出しました。
あの作品もまた団円と和解で幕を閉じますが、私には、神原家の未来幸福の光景は大火のあとに見る蚕の夢のように感じられました。
そう考えると、許溶もまた、私の中では同じ位置にあります。
長野の祖宅で笑い合う金色のラストシーンも、硫酸で灼かれた果てに生まれた、夢のようなユートピアに見えてならないのです。
長野の吹雪に閉ざされた山荘、突如現れる外来者、「犯人はこの中にいる」という硫酸事件……
許溶、推理小説にしたらものすごく映える設定ですよねww
もし本当にミステリだったなら、知希さんはきっと探偵役を担っていたのでは、などと想像してしまいました。
知希という人物は、これまで見たことのない、まったく新しい存在でした。
怒りも、悲しみも、警戒も、無力さも、すべてが美しく、
嗚咽で肩を震わせる背中を見た瞬間、私の心にも小さな雨が降ったような気がしました。
14日の三田家訪問を終えて、ふと「楽しい」と感じるようになりましたwww
物語の進行を必死に追いかける必要がなくなった分、
演技の細やかな揺らぎや、伏線の置き方に、より意識を向けられるようになった気がします。
友人たちとも話していたのですが、
千秋楽を迎えたあと、もしかしたら一番恋しくなるのは、
三田兄弟が言い争うその傍らで、知希がふっと浮かべる、あの小さな、ほとんど誰にも見せない軽蔑の笑みかもしれません。
知希さんは舞台上で、決して多弁な人物ではありません。
それでも、物語の中心にいない場面ですら、
怒りと孤独の空気を一貫してまとい続けている。
その姿から、糸川さんが役とどれほど真摯に向き合っているのかが伝わってきて、
「ああ、これが役者なのだ」と、自然と思わされます。
例えるなら、知希さんは深海に潜むタコのような存在でしょうか(?)。
闇の中に身を潜めながら、触手はどこへでも伸び、
自在に形を変え、言葉にならない感情で人の心に絡みついてくる——そんな印象です。
以前、「なぜ彼らはここまで憎み、そしてなぜ和解できたのか、正直よく分からない」と書きましたが、今は、その理解の仕方自体が、観客一人ひとりの性格や人生経験に委ねられているのだと思うようになりましたww
私は「やりたいことは自分でやる」「誰かがいなくなったからといって生きられなくなるタイプではない」人間なので、
血縁に縛られ続ける彼らの感情を、完全には理解できなかったのかもしれませんwww
けれど同時に、世界は決して白か黒かではなく、
人の感情も、愛と憎しみだけで割り切れるものではない。
人は生きるためにもがき、
荊棘と血肉を擦り合わせながら、
それらすべてがやがて「心」と呼ばれるものへ溶け込んでいく——
そんなふうにも感じました。
19日の夜公演で、宗志さんが「じゃあ自分の家にやれよ」と叫んだ瞬間、
その横で、呆然と立ち尽くし、まるで夢から覚めたような表情を浮かべる知希さんが目に入りました。
気づいたときには、なぜかもう涙がこぼれていて……w
「ここもまた、自分の居場所であり得たはずだ。
それなのに――本来いるべき場所は、ここだったのではないか。」
屋敷の外に立つとき、階段の手すりに触れるとき、あるいは窓を開けて、別館の崩れた壁を目にしたとき――
知希は、こんなふうに自分の心を掴まれたまま、苦しんでいるのではないでしょうか。
知希の台詞の中で、もし「一番好きな一言」を選ぶとしたら、
宗志さんが「訴えるぞ」と言った直後の、あの一言です。
「お願いします。いい宣伝になります。」
あの瞬間、不思議なほど鮮明に、
知希という謎めいた男の性格と行動原理が立ち上がってきました。
少し変な言い方かもしれませんが、
理不尽な噂話を向けられたとき、
この言葉で切り返せたらどんなに強いだろう、なんて思ってしまって……w
(できれば、そんな場面に遭遇しない人生でありたいですが……!)
